暴力行為

暴力行為

私は20代前半の頃に老人保健施設で介護士として勤務していたことがありました。しかし介護士は過酷な勤務形態と給料の安さから、退職する人が後を絶ちません

私が当時勤務していた職場でも、1年間の間に毎月最低1人の介護士が退職するという事態に陥ったことがありました。退職した中には定年退職や寿退職をした人もいたのですが、そのほとんどが体調不良でした。

体調不良は腕や腰のひどい痛みがあったり精神的に不安定になったりするなど多岐にわたっており、上層部との話し合いで配置転換や勤務時間や夜勤回数に配慮するということを伝えても残るという人は誰もいないくらい皆調子が悪い状態だったのです。

このように毎月1人の退職者が出ると困るのは残った職員です。私は当時要介護度5の入所者しかいない部署に勤務していました。特に夜勤の場合は1人で40人近くの利用者のおむつを述べ120回以上交換したり事故防止のために実質上仮眠や休憩室内での休憩を禁止されていたことから、夜勤明けの時は腰痛がひどくなってまともに歩けず、フラフラになりながら帰っている状態でした。そのような夜勤は職員1人あたり月に4回程度することになっていたのですが、週に1回という割合だとしても本当大変でした。

しかしながら介護士が次々に退職していった後は月に6回は夜勤が回ってくることもあり、状況によっては連日夜勤をすることもありました。そのため私も当時20代前半ながら腰痛に加えて不眠症になったり、自律神経失調症になってさまざまな不調に悩まされるなど次第に介護士として勤務することが難しくなってきました。

私と同じように介護士として勤務している職員についても心身の不調を訴える人は多く、その後も毎月誰かが辞めていく状態は変わりませんでした。私のいた部署は当時8人職員がいないとシフトを組むのが難しい状態になっていたのですが、退職や他の部署の穴埋めで職員が異動するなどして6人に減らされていました。

そのような状況において入所者に異変がなければいいのですが、入所してきた職員が認知症を患うなどして暴力的であったりすると数人でその入所者の対応をしなければいけない状態になって大変でした。そして私が勤務してから2年が経過しようとした時、事件が起きました。

たまたま他の職員が違う仕事をしていた時に暴力的な入所者が私の顔をいきなり叩いてきたのです。不意にされたことから私は避けることができず、あと3か月後に結婚することが決まっていながら顔に小さいですがあざと傷ができてしまったのです。今まで入所者から少し叩かれたり蹴られたりするようなことはあったのですが、本格的にけがをしてしまったのは施設が開設されて以来初めてのことだったそうです。

これをきっかけとして上層部はさすがに介護士が足りない状況に危機感を感じたようで、リハビリスタッフなど業務がない時間帯のある部署の職員に補助に入ってもらうなどの対処をするようになりました。しかしながら私としてはそのような介護士の過酷な勤務状況を改善するのはすでに遅いと感じていて、これ以上この職場にいても働く気にはなれないと思い、負傷してからすぐに退職願を出して退職をしました。

その後はもう介護士とは勤務しておらず、むしろ現在の方がよりなり手がいないと思われてまた過酷な勤務内容になるのではと思っているので、今後も介護士として勤務しようとは思いません。

介護士のツラさまとめ

介護士のツラさまとめ

私は大学を卒業してしばらくは地方のサービス業の会社で働いていました。地方の会社の割には給料が高い会社で、日々充実していたのですが、諸事情により退社することとなりました。退社してからは地元で転職を行い介護職として現会社で働くことになりました。当然転職する時から環境が変わることの難しさはわかっていたことですが、介護士として働くようになって大変なことつらかったことがあり、大きく3つにわけることができます。

給料の減少
介護職に転職して、まずはじめに直面したつらかった出来事が、基本給手当て含め月額の大幅な減少です。前職では新卒時でも基本給が20万弱あり、退職時には手取りで月額30万近くあったのですが、介護職に転職してからは手当てを含め手取りが月額15万程度で、最大時と比べたら半分近くまで減少しました。昇給も5年間で1000円しかなく、今後の給料アップも見込めない状況です。結果的に新卒時よりも給料が少ないため、生活レベルも落として対応はしていますが、給料に関しては将来の望みがほとんどなく非常につらい状況です。

社会的地位の低さ
介護職に転職して痛感しているのが、社会的地位の低さによる周りの視線と接され方です。前職ではエリート社員という後押しもあったため、周りの私に対する視線も一目置かれていたのでが正直なところです。しかし、介護職に転職してからは人も離れ、親せきの視線も明らかに変わりました。正直介護職というのは、排泄介助、入浴介助、歩行介助、食事介助などがメイン業務になるためどうしても家事の延長線上とどうしても低く見られがちで「大学まで出ていて介護なんかで働いてほんとにもったいない」と陰で言われているのがつらいところです。

業務内容
介護職として働くようになってつらく感じることが、仕事に対して充実感が持てないことです。業務内容自体も介助がメインとなり、事務作業も、ケア計画の作成、シフト管理、スタッフの時間管理などそれなりにやるべきことはあるのですが、毎日が同じ作業で、仕事に追われるということもなく、仕事に対しての充実感が持てないのが現状です。お年寄りを相手にする仕事のためゆっくりと時間が流れるのは仕方がないことですが、正直簡単すぎてもの足りません。

以上を踏まえての現状を挽回するために、現在は仕事を行いながら社会福祉士の資格を取るために個人的に通信制の専門学校に通っています。将来は社会福祉士の資格を取って、更正保護の仕事に携わりたいなと思っています。この社会福祉士という目標ができてからは仕事に対しても若干の充実感が出てきました。

夜勤はツラい

夜勤はツラい

有料老人ホームで、7年間働いていました。

何といっても夜勤が一番辛かったです。夜勤の排泄介助と水分補給が終わり、わずかな時間寝ようとしても、ご利用者が排便が出ていたり、起きて来られたらすぐに対応しないといけません。

また、熱発等で体調を崩されたら、30分おきにバイタルを測定しないといけないから、結局一睡もせずにモーニングケアが始まり、あまりの眠たさに、ご利用者の排泄介助の後、ご利用者の足元で、10分程寝てしまったこともありました。本当に身体がしんどくて、悲鳴をあげていました。またその夜勤の時に、ご利用者が転倒したり等の事故が起これば、その日中に、事故会議を開催する必要があり、当事者で集まって、次に起こさない為の対策を考えないといけません。本当に時間に追われ、身体が悲鳴をあげていました。また夜勤以外の日勤の仕事に対しても、その時のメンバーを見て、その時、そのときで動き方を考えなければなりません。

もっとゆったりとご利用者と過ごしたいと思っていますが、なかなかそれを行う事が出来ないのが現状です。日中は日中で時間との闘いで、常に食事が来るまでに、その日に必要な入浴の介助と、全員のトイレ誘導と排泄介助をしないといけません。

その時に、身体の大きな寝たきりの方は、女性なら2人介助で、男性なら基本1人でリクライニングの車椅子から、ベッドに移乗する必要があり、その時に、重いご利用者を移乗するのは、本当に腰に負担がかかり大変でした。

また、食事介助も、なかなかスムーズに、口を開けて頂けないご利用者の介助は大変でした。私がいた施設は、寝たきりで、なかなか口を開けて頂けないご利用者に対しては、ラクラクゴックンを利用して食事介助をしていましたが、それでも口から食事を出してしまわれるご利用者がいて大変でした。私の施設は看取りを施設で積極的に行う事を謳っていた施設だったので、いよいよという状態に、ご利用者がなられた際に、30分おきのバイタル測定と、水分補給、さらに少しでもご利用者の状態が変わられた際は、すぐにナースに報告し指示をもらうと共に、通常業務は通常業務で、しっかりと回さないといけない状態の時は大変でした。

さらに、私の職場は、委員会活動や研修が積極的にされていて、夜勤明けや夜勤入り、休みの時でも短時間ではありますが、出勤する必要があり、本当に疲労が蓄積し、ストレスで食べてしまい、太ってしまいました。ただでさえなかなか人が入って来ない介護の現場で、こんな勤務だったので、本当に離職率の高い職場でした。

看護師が上、介護福祉士はその下

看護師が上、介護福祉士はその下

看護の仕事は医療面でのサポート、介護の仕事は生活全般のサポート、ですのでそもそも専門分野が違います。

ですが、規定上看護師に出来て介護福祉士に出来ない事、は沢山あります。
昔はたん吸引は介護福祉士も行なっていましたが、今では喀痰吸引の研修を受けた者でなければいけないとか、爪切りや剃刀での髭剃りも、厳密には介護福祉士はやるべきでは無い行為に分類されています

救急病棟などが長かった看護師は、私たち介護福祉士を看護助手のように扱うこともしばしば…以前勤めていた特別養護老人ホームでの出来事です。

包帯なんて自分で洗濯機に入れて回せばいいのに、わざわざ私たちを捕まえて『これ、洗っておいてくれる?』と持ってきたり、『◯◯さんが何時に受診の為に出掛けるから、直前にトイレと着替え済ませておいてよね。』と。ひどい時だと、看護師自らが利用者に浣腸や下剤を飲ませておいて、便失禁をしてしまった利用者を指差し、『下剤の反応便あったみたいだから、オムツ交換しておいてください。』と、全く手伝うそぶりすら見せず、あとはやっておいてねーとその場を去る人もいました。

雑用係みたいな仕事の押し付けされ方をすると、本当に悲しくなります。それは時と場所を考えずにおこなわれるため、利用者や利用者の家族の目の前でも看護師は私たちに対して、その様な態度をとります。ですから、当然のように利用者やその家族たちも、『看護師が上、介護福祉士はその下。』と上下関係を作って見られがちでした。

もちろん、利用者や家族の中には介護福祉士の私たちに感謝してくれ、温かい言葉をかけてくれる方もたくさんいました。でも、皆んなが皆んなそうではなく、家族が面会に来られた時介護職員の私たちが挨拶をしても会釈を返す程度なのに、看護師が声を掛けると露骨に態度を変えて、笑顔で挨拶を返している姿を見ると、悔しい気持ちでいっぱいになります。

看護師と家族が、入所している利用者の最近の様子などを話している最中に、トイレに行きたいとおっしゃる事がありました。目の前にいるんだから、看護師が連れて行ってあげれば早い話なのに、わざわざ介護職員を呼びつけて『トイレに行きたいんだって。』と、看護師が言いに来ました。…だって。じゃないでしょ。

とりあえず我慢できなさそうにしてる人が目の前にいるんだから、あなたが連れて行けばいいのに。わざわざ利用者を我慢させてまで、私を呼びに来なくても…そこの看護師とは、一緒に働けないし、利用者を大事にしていないと感じ、退職しました。現在の施設では、看護師も協力的で利用者第一のケアが出来やりがいを感じております。

認知症老人介護の現実

認知症老人介護の現実

私は通所介護で働いているのですがアルツハイマー型認知症の末期の方がいまして。高齢の娘さんと二人暮らしをしているこの方は色々な通所介護に通うも全てが拒否されてうちの通所介護が最後の砦となっています。

普通の会話はできません。来所している時間中ずっと『お願い!助けて!』と怒鳴り続けテーブルを叩いています。勿論、通所介護なので他の利用者様も沢山います。近くに怒鳴っている方がいたら優しい方でも徐々に嫌になってしまいますよね。

せっかく様子を見に来てくれた方の腕を抓ってしまい孤立してしまいました。煩いと言われ露骨にスタッフ早く何とかしろよという目で見られ皆様がいるフロアには居られなくなりました。

フロアにいられないので近所に散歩に出て気分転換しようと車椅子を押して外に出てみると『助けてー誘拐された!おまわりさん!』すぐに視線を集めてしまいました。

幸いユニフォームを着ていたので利用者さんかなと思ってくれたようで事なきを得ましたが毎回騒がれても困ってしまうので外に出る事も出来なくなりました。仕方がないので会社内の三畳ほどの相談室で個別対応する事にしました。狭い空間で目の前で怒鳴り続けられ、手で思いっきり机をたたき続ける。

まるで目の前で工事をやっているような音。これが来所してから7時間永遠とです。かなり頭がおかしくなりそうでした。なんとか落ち着いてもらおうと手を出せば引っ掻かれ噛まれます。食事を摂ってもらおうとすれば茶碗をひっくり返されます。一番辛いのは味噌汁を思いっ切り投げつけられた事です。

利用者様用に熱くはしていませんでしたが味噌汁を全身にかけられたショックは強かったです。ケアマネージャーに周辺症状を少しでも和らげられるよう受診等を訴えても『あそこの娘さんは言っても聞いてくれないのよね。

あれだったら直接言ってください。』と全く取り合ってくれませんでした。ただ単に来所を断る事は簡単ですがうちの通所介護が断ってしまったらこの方どこも行く場所がありません。

通所介護が無理で特別養護老人ホームなんて絶対に受け入れてくれません。残るは精神病院に入院し服薬管理で周辺症状を落ち着かせることですが娘さんが精神病院には絶対に入れないと言って聞かれません。しかし娘さんとだけの在宅生活を考えると不幸な結果になる事しか思いつきません。

自分の通所介護を断って後味の悪い事になるのも嫌ですし、関わった以上何とかしてあげたい気持ちもあります。結局の所、改善する見込みが全くないまま狭い三畳の空間で工事現場の騒音と触れれば怪我をするリスクを負いながらケアをしていくしかありませんでした。

介護は人の手

介護は人の手

私は特別養護老人ホームに勤めている男性職員です。ご利用者様方に「ありがとう」と言われる事が嬉しくて仕事をしています。ご利用者様方に笑顔を提供する事がをモットーに頑張っていました。

ある時期に、施設側から給料支払いのの遅延や賞与が当日になって無くなった事があり、会社に不信感を持った職員達が次々と退職していきました。そうなんです。介護ブラックっていう言葉もあるくらいある意味ブラックな職場なんです。

さらに毎日提供していたおやつがなくなり、砂糖もご利用者様が個人購入する事になったり、行事食の回数が減らされたりされ、会社の経営や運営に不信感が募り、さらに多くの職員が退職されました。すると1フロア40名程のご利用者様がいるのに対し、職員数は少なくなりました。

日中8人から9人の職員がいましたが、退職者が続出してからは4名から5人程になってしまいました。食事、入浴、排泄介助のではスピードが求められるようになり、結果、介護の質が落ちていきました。また、やるべき事をしないことが増え、量も減っていきました。

食事介助では、嚥下不良のご利用者様には食前に口腔マッサージを行われなければ誤嚥のリスクが高まります。その口腔マッサージをしないで食事を開始してしまう。ご利用者様は開口不良や嚥下不良で栄養が少なくなってしまいます。体が弱まってしまって誤嚥をお越し、誤嚥性肺炎を患ってしまう。さらに体力が低下してしまう。入院先から退院して施設に戻ってこられた時にはほとんど物が食べられない状態になっており、一日に食べる事ができるのは、栄養価の高いゼリーと、栄養補助流動食、水分ムースだけになりました。

するとさらに栄養状態は悪化していき、皮膚は弱まり、床擦れや内出血が多発しました。そのご利用者様からは笑顔が見られることがなくなり、常に痛みを感じている苦痛表情をされていました。しかし、職員数は変わらずに少ないままで、十分なケアが必要なのに、ケアが疎かになったままでした。

みんな「忙しい」を理由に所々で手を抜いていたり、必要なケアを省いていました。小さなケアであろうとも、それを行わない事が積み重なれ、ご利用者様に大きな損害になります。逆に、小さなケアでも確実に行っていれば、ご利用者様は現状の健康を保ち、安楽に過ごしていけます。そのご利用者様は、誤嚥性肺炎で入退院を繰り返し、栄養不良から骨折もしてしまい、痛くて苦しい日々を過ごされました。

最後は入院先でお亡くなりになりました。その一報を聞いて担当の相談員が入院先の病院に行って、顔を見たとの事。眉間にシワがついたままで、とても穏やかな顔ではなかった。痛くて苦しんで最後を迎えたと思う。と話していました。

職員を集めて会議を行いました。どうしてこんな事になってしまったのかと、話し合いました。どうすればよかったのかと。小さなケアでもしっかり確実に行うこと、スピードより質、等と意見がありましたが、やはり最後には「しかし、手が足らない!」でした。介護は人の手です。これが無いと介護にならないなと思いました。介護の仕事がちゃんと行われるように、まず職場環境が改善されないと無理なのかと、悔しい想いで一杯です。